2006/1/1(日)
[Let's decrease 平均年齢]
もちを喉に詰まらせて死亡する老人が多発する時期にあえて食卓にもちを出してくるという主婦の研ぎ澄まされた感性が高齢化社会に悩む日本をひそかに救っている件。
2006/1/2(月)
[オカマきもい]
テレビ見てたらなんか美川憲一が昆虫とか食ってて、蠍の唐揚げかじりながら「フン、私は蠍座の女なのよ」とか中途半端なリアクションしててよくこんなものオンエアしたなぁと感心したけどどう考えてもチンコ付きです。
ほんとうにありがとうございました。
2006/1/3(火)
[里見八犬伝]
猿飛佐助や霧隠才蔵の登場を今か今かと待ちわびながら2夜連続で見てしまった。
歴史のお勉強をやり直した方がいいと言いたいとこだが、ここは得てしてみんなが混同しがちな部分だと思う。
間違いなく、安房の里見氏でゲームを開始するとまたたく間に北条氏康の大群に攻め入られボロカスにやられて滅亡してしまう信長の野望のせいだ。
2006/1/4(水)
[テキストサイト管理者専用年間インデックス]
1月
年始 初○○ 成人式
2月
節分 バレンタインデー
3月
雛祭 ホワイトデー 卒業式 高校野球
4月
エイプリルフール 入学・入社式 新入社員新入生新環境
5月
メーデー ゴールデンウィーク ガキ 憲法
6月
衣替え 梅雨 台風
7月
七夕 海 夏休み 気温↑
8月
夏休み 高校野球 戦争 盆 花火大会
9月
夏休み(4大生のみ) 十五夜 敬老
10月
運動会 日本シリーズ 気温↓
11月
文化祭 勤労感謝 七五三
12月
クリスマス 年末 紅白 そば 鐘 煩悩
2006/1/5(木)
[虚勢と本音の狭間で(前編)]
これは概ね非ネットの現実世界での話だが、この年齢になると旧年にまったく世話になってない(どころか一回も会わずじまい)けど挨拶だけはしなければならないという微妙な間柄の知人も多々出てくるわけで、そういう人たちにはありったけの悪意を込め「今年はよろしく」というニヒリズムに満ちあふれた言葉を送って年明け早々に知人を一人失う行為もそれはそれで悪くはないんだけども、これをすると仮に森繁久彌くらいの年齢まで生き永らえたとした場合・・・っていくら何でもそこまでの前提はいらんだろうということを久彌の「彌」の字を検索してコピーして持ってきた時に気づいた。
2006/1/6(金)
[虚勢と本音の狭間で(後編)]
とは言っても日本人の大半は八方美人的性格なので(実はおれもそう。しかもかなりひどい部類)なかなか簡単な話ではないという。
実はここ数日、「友達を『友達』という位置づけからはずす瞬間」ってのを考えてて、時には捨てることも必要なんじゃないかという結論の一歩手前まで来たところなんですよ。
もういらない知人の一人や二人くらい誰だって持ってるはずだし。
で、その中から「そのうち必要になる機会が訪れる可能性が残ってる」のはキープしつつその他を一斉在庫処分。
なんか要不要の見極めが大事になってきそうだ。
人間てのは基本的に他人を値踏みしながら生きてく生物だから友達に優劣つける程度のことは誰だってしてるはずだけども、それを「取っとく」か「捨てる」かの話にまで飛躍させるとこうも難しい問題に発展するんだなぁと。
まぁそれはいいや。
問題はこの一連の問題をおれ自身を主人公にして考えた時、自分が一番かわいくて自分が一番大切なおれの観点から見た場合「重要度」という面において自分以外のありとあらゆるすべての物質が同じ域でひしめいているという点。
ここ。
ここ今回の主題。
だから、いざ取捨の選択となるとこれが実に難しいわけです。
ってかおれには不可能です。
一人で生きてく覚悟なんてとっくの昔にできてるけど、だからこそ、いずれそうじゃなくなった時の自分が想像できないしましてやそん時にどんなタイプの友人が必要でどんなタイプが不必要かなんて今の時点でわかるわけがないという。
で、何が言いたいかというと、実は八方美人ってのは最も楽ちんで波風立たずで合理的なスタンツなのですって結局また自分を正当化して終わってしまうのですよ。
もうどうしようもないのですよ。
ただ今これを読んでる、俗に「ネット友達」という部類にカテゴライズされるあんたたちにだけは本音を語れるのです。
ただ単に男女関係でドロドロになってる友人一同のあらゆる方面から一斉に相談を受けててうざいだけなんですまことに申し訳ございません。
ってかどうしてどいつもこいつもおれの精神を鋼鉄製だと考えますか。
ただ強がってるだけで、おれだってミサイルで撃たれたら死んじまうんだぞちくしょう。
2006/1/7(土)
[改行タグをもっと使え]
基本的には月単位の契約で貸してるんだけども、空きスペースがあってもったいないという観点から一時貸しも兼ねてるという駐車場がけっこうある。
それはまぁ普通だ。
経営学の通念上、至ってよくあることであって何らおかしなところはない。
問題は駐車場入り口に備え付けられている案内看板。
月極駐車場
1時間200円
何というか、詳しく表記するのがめんどくさいのはわかるけどこれじゃどれだけ都合良く解釈したとしても完全に1ヶ月の賃料が14万円という超セレブリティな月極駐車場にしか見えないのだ。
2006/1/8(日)
[光ケ丘スペルマン病院]
この病院名に突っ込みたくて突っ込みたくて仕方なかったんだけども、万一赤ちゃんに何かあった場合の不謹慎さ加減はおれの求める不謹慎さとは全然違う種類のものであるため、恥ずかしながら赤ちゃんの身の安全が確定報道されるまではとコラム化を自粛しておりました。
いやぁでもほんとに無事でよかった。
って普段から「死ね死ね」のオンパレードなおれがこんなこと言うのもおかしな話かもしれないけど、やっぱ子供は死んだらいかんよね。
命の重さは平等ではない、ちっこい子供ほどヘヴィーだ。
じゃ年寄りなら死んでもいいのか?ってことになると困るんだけども、あくまで「重量」が違うだけで全部「重い」ってことに変わりはないだからそんなあほらしくて議論の余地すら残さない幼稚な考え方だけは植え付けないでほしいなと思う。
せめて「重いのもあるなら軽いのもあるのでは」とかいう発展性のある疑問をぶつけて来てくれるならばおれは心から愛を込めて答えることができるよ。
即ち、
自殺志願者と凶悪犯罪者と、あと入院中は毎晩のように便所で看護婦をおかずにオナーヌ三昧だった究極のスペルマンP@管様の御名がここで登場してくるのですよみなさんこんにちわお元気ですか
\(^о^)/
心地よいそよ風ではるか彼方に飛んでゆく質感の命を持ち合わせて日々元気ぶって生きてくのはとてもスリリングでお勧めですよみなさんも一度いかがですか。
2006/1/9(月)
[DEBCA]
将来の日本を背負って立つ若者たちが一同に会する成人式。
その中には、式の時点ですでにその一端が垣間見られているようなしっかりした新成人(A)と、度を越したはしゃぎっぷりで周囲に迷惑をかける新成人(B)がいる。
ただそんな極端な両者はごくごく一部で、多勢を占めるのはいかにも普通でいかにも二十歳くらいだという至って中庸的な新成人、これをまぁ(C)としよう。
で、(A)と(C)にはこれっぽっち目もくれずに(B)だけをこれでもかこれでもかと取り上げ続けるマスコミ、これを(D)、そしてその報道を見て脳内活性され、新成人すべてを否定してしまう視聴者、これを(E)とする。
大人か未成年かは置いといて単純に「人としての価値」という点から不等号記号で比較並列すると
D≦E<B<C≦A
こうだ。
(B)に対して文句言えるのは、せっかくの一生一度の式典をぶち壊された(A)または(C)のみであるはずなのに、(B)を糾弾するのはいつも(D)と(E)だけというパラドクス
・・・に、颯爽と一石を投じるおれを(P)として、前述の比較並列図に代入してみると
P<<<人間が豆粒みたいに見えるほどの距離の壁<<<D≦E<B<C≦A
となり、初めてのドーム公演で緊張しながら「おい!2階!聞こえてるか!」とか言ってる成り上がりミュージシャンみたいな感覚になれてすごく幸せです。
2006/1/10(火)
[セロすごいよセロ]
魚の干物を一瞬にして生きた魚に変える超魔術よりも、生きた魚を一瞬にして干物にしてしまう超魔術の方がいろんな面でコストダウンを生むという経済学的要素を多分に含んだ需要が多い気がする。
2006/1/11(水)
[おっぱいチーン]
自らが理想とするおっぱいの形を「おわん型」と比喩表現するヤツがいるが、ほんとに何もかもがおわん型だとしたらとてつもなく乳輪のデカいおっぱいではないかという触れてはならない領域に突入してくるためここは仏教の国にふさわしく「おりん型」と比喩対象を改めるべきだと思う。
*参考リンク
おりん
2006/1/12(木)
[世間の格付け≠マニアの格付け]
血のつながった親子なのでさすがに売名目的とまでは言わないがここぞとばかりに両親がしゃしゃり出てきたり、過去の家庭環境やら男性遍歴やらありとあらゆるしがらみや何やらを一切合財ぶちまけられて完全に丸裸にされてる辺見えみりに対して、「料理はプロ級の腕前」「バツ2」の二語だけで軽く流される木村。
ちょっと扱いが惨すぎやしないかと思ったけど、相方が起こした事件のこととかを引っ張り出されてくるとまずいのでこれでいいんだろうか。
「木村さんはオールディーズというコンビ名で(中略)相方の○野がファンの女子高校生を知人の社長に紹介し金銭を受け取る売春斡旋容疑で逮捕されコンビは解散。その後紆余曲折を経て・・・」
とかこと細かにやられたら辺見えみりなんかどっか飛んでっちまうもんな。
2006/1/13(金)
[最後の言葉]
「この仕事が最後だ・・・この仕事を無事に終えたらおれ・・結婚するんだ・・・」
「おれに構わず行け!大丈夫だ!あとから必ず追いつく!だから行くんだ!」
「この中に殺人犯がいるかもしれないんだぞ!そんなヤツらと一緒に寝られるか!おれは自分の部屋に戻るぞ!」
映画ではこれら「死亡フラグ」(「もうすぐ死ぬよ」の暗示)と呼ばれるセリフまわしが頻繁に登場する。
この三例の他にもそれはそれは多種多彩に渡る死亡フラグ的セリフが存在し、その一覧リスト(・・なんて実際あるかどうか知らんけども)などは映画関係者にとってはある種のバイブル的存在なのではないか。
でだ、そのリストの中に
「さぁて、と、そろそろ屋根の雪おろしでもしてくるかのぉ」
というセリフも加えていいんじゃないかと思えるほどに、雪国のお年寄りは屋根から落ちて死にすぎです。
どうかお気をつけください。
というか年寄りがハシゴで家の屋根にえっこらえっこら登ってる絵は傍から拝見する限りどう見ても雪おろしではなく命おとしですという文句のつけどころがない完璧なオチが偶然思い浮かびました。
ほんとうにありがとうございました。
これからもどんどん転落してくださぅわ何をする
2006/1/14(土)
[雨ふって近況語る]
得意技の一つである洗濯物全滅ネタをここしばらく書いてないという現状から
「そいえばこんなにまとまった雨はひさしぶりだ」
と実感することが人間としてやばいのかそうでないのかの分別すらあやふやになってきている。
けっこう無理からに接続時間を減らしてってるんだけどもこれじゃやぶへびだ。
2006/1/15(日)
[NHK]
真剣に、今月だけは受信料を払ってもいいと思う。
相撲中継見て笑い死にしそうになるという生涯一度きりの貴重な経験料として。